林村ゆかりさんに学ぶ、ライバーの大きな可能性

2018年、ライブ配信アプリ17LIVE(イチナナ)で日本人最速の27万人超えのフォロワー数を獲得した林村ゆかりさんをご存知ですか?彼女は、複数の女性がたった1人の独身男性(バチェラー)を取り合う恋愛リアリティ番組「バチェラー・ジャパン」に出演し、バチェラーからの好意を意味するバラを初めて受け取らなかった女性として、世間の注目を浴びました。そこから大躍進を遂げた彼女の体験談は、これからライバーを始める人、ライバーとしての活動に悩んでいる人にも大きな夢を持たせてくれるはずです。

・ライバーとして活動し始めたころ
・テレビ番組出演で気づいた本音
・人生を変えたライバーという職業

ライバーとして活動し始めたころ

20歳のときに自ら作詞作曲を手がけた自主制作アルバムを作成し、もともと音楽に関心のあった林村さん。25歳で上京してからはジャズバーで活動しYouTubeでも音楽配信を始めたそうです。30歳のときにライバーとしてライブ配信を開始しました。今でこそママライバーなど落ち着いた雰囲気をまとうライバーやそのほかジャンルのさまざまなライバーがいますが、当時は10~20代が中心のキャピキャピとしたイケイケなライバーに囲まれてのデビュー。葛藤もあったそうですが、それでもコスプレしたりお風呂場でのラジオ配信をしたりなど、創意工夫を凝らしながらライブ配信を続けていました。時には1日12時間以上のライブ配信を行ったことも。リスナーとの距離が近い分、無茶な要求をしてくる失礼なリスナーとの口論もあったといいます。はじめから順風満帆なライバー生活を送っていたわけではないのですね。

テレビ番組出演で気づいた本音

本気で結婚相手に出会いたいと、2017年には「バチェラー・ジャパン」に出演しています。ライブ配信に疲れていた彼女は、一時はライバーとしての活動から離れることを決意したそうです。しかし、バチェラー出演中もバチェラーが他の女性と親密になっていくことへの辛さや女性同士の嫉妬などに悩んだそう。彼女はバチェラーからのバラを辞退し、番組を降りるという決断をします。バチェラーが女性を選んでいくという番組の趣旨とは異なる林村さんの決断は、番組史上初と話題を呼びました。その決断の裏で芽生えた気持ちは「誰かの力で有名になるより、自分自身がコンテンツを作りたい」という本音だったといいます。

人生を変えたライバーという職業

もともとのファンがいたことに加えバチェラー出演で知名度があがったことにより、2018年にはライブ配信アプリ「17LIVE」で日本人最速の27万人超えのフォロワー数を達成。林村さんはライブ配信に自分の持てるすべてを注ぎ込んだといいます。その快挙のあと、自身の経験を活かして次はライバーを育てていきたいと、ライブ配信のマネジメントやSNSマーケティングを取り扱う会社「Grand New Day ,Inc.」を設立します。現在はシンガポールに住まいを移し、ライブ配信をきっかけに多方面で活躍できる才能を発掘、育成を手がけて社長業に邁進しているというのです。テレビ出演という大きな決断もありますが、彼女の人生を大きく変えたのはライバーという職業であったことに他なりません。

彼女の輝かしい経歴は、彼女が特別だったからというわけではないと思います。彼女の成功は、ライブ配信で自分なりの工夫をして長時間行ったり、疲れて休むことはあっても継続をしていったりという、地道な努力が実を結んでいった結果だといえるでしょう。大きなことを達成するためにもはじめの一歩は小さいものでもいいということを、彼女の経験は教えてくれています。自宅にてスマホ1つで行えるライバーという職業、持っている可能性は無限大だと思いませんか。

出展:https://encount.press/archives/123927/